【いろは】運慶・快慶はなぜ有名なのか 仏師の系図で理解

仏教いろは

運慶・快慶が有名なわけ

この2人が特に有名なのには大きく2つの理由があります。

1.制作のスピードが早い
仏師には系譜があって、運慶、快慶は慶派に属しています。

慶派の仏師はほかの仏師にはないオリジナルな制作システムを用いていました。
分業による寄木造りです。
この方法により大きな制作物も時間を短縮して完成させることができ、制作依頼が増えていったのです。

2.鎌倉時代は個性が尊重された
平安時代後期は大御所・定朝のタイプの顔が多くつくられましたが、鎌倉時代になると個性のある新しい表現がもてはやされるようになりました。
そして同時期、像に署名がされるようになりブランド化していったのです。

仏師の系譜

慶派は大御所・定朝から枝分かれした奈良仏師の流れを汲む流派です。

独立系クリエイターの登場

飛鳥・奈良時代は役所に所属する職人が仏像を制作していましたが、平安時代になると自分の工房をもって制作を請け負う独立系クリエイターといったタイプの仏師が登場します。
その第1号が康尚です。

康尚の子が定朝で、仏師の大御所です。

奈良仏師、院派、円派へ枝分かれ

定朝の後、息子や弟子が継ぎ3つの流派に分かれます。
1.奈良仏師
定朝の息子・頼助から始まる流派です。
奈良の興福寺を活動拠点にしていました。
2.院派
定朝の孫・院助から始まる流派です。
3.円派
定朝の孫弟子・円勢から始まる流派です。
院派と円派は京都が活動拠点で院、宮廷、摂関家からの依頼で制作していて貴族とのつきあいが深くありました。

慶派

鎌倉幕府が開かれた時、奈良仏師の成朝が鎌倉に出向き源頼朝が開いた勝長寿院(しょうちょうじゅいん)の本尊を完成させました。
続いて運慶が鎌倉武士のために像を造るようになり、鎌倉幕府と慶派の時代がやってくることになったのです。